2013年5月11日土曜日

人の役に立つということ~5月病再び?~5月6日(月)

「私の存在意義が感じられない。」
何の時だったか忘れてしまったが、そんなことを言って高校生の頃に同じ学年の子に”キレられた”ことがある。
「はあ?何いってんの?!そんなことわかんないよ!」
そりゃそうだ。正しい反応である。

でも私はいつも真剣に悩んでいた。必要とされてない場所にいることがただただ怖かった。多分、面倒くさい子どもだっただろうなと思う。親も友達も、よく見捨てずにいてくれたものだ。
今はそれなりに色々な経験を積んで、視野も広がった。でも、根本は変わっていない。突然壁にぶつかっては悩み、途方に暮れる。

 こういう時、日本語の本や歌にヒントをもらったり、ガス抜きをしてもらったりすることが多い。
前も紹介したが、二本松での訓練中にテーマソングとして仲間の一人が紹介してくれた、
かりゆし58の「おわりはじまり」。

今日一日が終わる やりのこしたことはないかい 
 親友と語りあったかい 燃えるような恋をしたかい 
 一生忘れないような出来事と出会えたかい 
 かけがいのない時間を胸に刻み込んだかい

 またすぐ明日にかわる 忘れてしまっていないかい 
 残された日々の短さ 過ぎ行く時のはやさを 
 一生なんで一瞬さ 命を燃やしているかい 
 かけがいのない時間を胸に刻み込んだかい 
 
 
 

葉田甲太さんの「それでも運命にイエスという」。
葉田さんが書いた「ぼくたちは世界を変えることができない」は、医大生がひょんなきっかけからカンボジアに小学校を建てようと動き出した実話。映画化され、向井理さんが主演をして話題になった。彼は等身大のボランティアとしての思いや体験、活動を素直につづっている。文章全体から「飾りすぎてはいないか、背伸びしていないか、本当に本音を書けているか」という自問自答が聞こえてきそうな本だった。

しかし本当に、国際ボランティアってなんなんだろう。長年あこがれて今「国際ボランティア」とやらをしている自分さえもよく分からなくなってしまった。
 
今日は算数の授業だった。自分としては、これ以上は考えられない!というくらい考えて教具を作ったし、最善を尽くしたつもり。
授業後の打ち合わせ時に言う事もまとめ、考えておいた。
今、算数で重点的に伝えていることが3つ。
①本時のめあてを明確にすること
②暗記と演習ではなく、考える授業をするための授業構成の工夫
③事前の準備の仕方、教具を作った意図(あくまでめあて達成のため)
 
手応えは先生の反応で大体わかるものだ。
イマイチ。この一言に尽きる。
話し合いも細かいところに論点がいってしまって、なかなか本質にもっていけなかった。
1c㎥を自分たちで作らせたのだが、「先生が作ったのを配ったらどう?」
そんなこと、日常の授業でやらないだろう。「知っている」「やろうと思えばできる」じゃなくて、やってほしい。私は年に1,2回する特別な授業を教えに来ているわけじゃないということが、頑張れば頑張るほど伝わらない。

子どもたちが可愛くて 時々本気で頭に来て 
先生たちや村人たちが大好きで 時々溜息をついて
授業が楽しくて楽しくて、 そしてものすごく苦しい。

物事を片面から見ていれば楽なのに。心がきゅうっとする。
「私は、誰かの役に立てているのだろうか。」
答えは出ない。自分を信じるしかないのかもしれない。

葉田さんの本に載っていた、マザーテレサの言葉。
「あなたの中の最良ものを」
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、し続けなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
蹴り返されるかもしれません
でも気にすることなく 最良のものを与え続けなさい

出典『マザー・テレサ 愛の花束』(中井俊巳著/PHP文庫)
 
・・・出来ないだろうなあ。でも 目指していきたいなあ。

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