2013年5月11日土曜日

五月病??   5月3日(金)

日本では、ゴールデンウイーク真っ最中。しかし、通信手段が何もない中ではそんなことは微塵も感じない。カレンダーだけがそれを伝えている。

今日は よくわからなくなった日だった。
教科書。指導内容が難しかったり、同じものを作るような内容が多い。
指導要領を見たうえでの吟味がとても大切だ。
毎日子どもと遊んで、モンゴル料理とモンゴル語と活動漬けの日々が楽しくてしょうがなかったのに、なんだか突然ものすごく嫌になってしまった。

今日は5年生で行った図工の授業を他のクラスの先生がしてくれた。
「紙を材料とした半立体の制作物の作り方を学ぶ」という授業。その制作法はとても難しい。テーマを選んでから2週間、何度も試作品を作り、考えに考えた結果に考え出した
「ありがとう、3番学校~感謝をこめて、花束を~」という授業。


このような指導案をもとに、授業前に話し合いをする。
左は4年生、右は5年生での内容。


12年生に移行していくモンゴルだが、初めてできる12年生の6年生は中学校に入るようだ。この子たちはもうすぐ、卒業だ。卒業といっても、村に学校は一つしかないので、当然また同じ学校に当分通うことになる。でもこの子たちに授業ができるのは、これが最後だ。
図工や私の要請からは少し離れているかもしれないけれど、私はこの子たちに学校への感謝と、卒業への思いをもってほしかった。

導入で、「もし村に学校が無かったら?」を全員で考えた。「勉強ができなかった」「先生に会えなかった」「友達に出会えなかった」。そうだ、学校があるってすごいことなんだ。
昨日自分がやった授業では、混乱もあったけれど、私が考え付くアイディアをはるかに超えた、素晴らしい花束を全員が作った。子どもたちが真剣に作品作りに取り組んでいた。「こんないいもの作っちゃった!」っていう自信で目が輝いていた。ぞくぞくした。先生の計らいで、時間の余裕があった子たちは 私にも「ありがとうの花束」を作ってくれた。




今日もいい授業だった。先生が自分で指導案を書き直してきて、指導事項や昨日私が一生けんめい伝えたことをくみ取って、糧にして授業をしてくれた。
授業が終わった後、先生は「本当にいい作品がいっぱいできた。私もすごく楽しかった」と笑顔で言った。子どもの笑顔も作品もよかった。
ただ、机間指導をしながら話しかけたことを「何言ってるのかわかんない。」と笑われたことと、私のモンゴル語の真似をして笑われたこと が小さな小さなとげとして心に刺さった。子どもたちは悪くない、教えるべきことだ。でも何も言えなかった。

図工が好きな男の子はまだ使える紙を「失敗した」といってすぐくしゃくしゃにすてた。私は「本当に要らないの?」と確認したあと、きれいな花を作った。それを見た子が捨てられた紙をひろって、きれいな花をたくさん作り上げた。

クラスのリーダーで勉強もよくできる男の子は、友達の作品を見て「おまえ、遅いな。ダメな作品。」といって笑った。本当にものがよく分かる子だけに許せなかった。もちろん叱ったが、鑑賞の時間に他にも言っている子がいた。私は先生に許可をとり、とっさに全体指導した。
「悪い作品だなんて、一体だれが決められるの?」
正しい判断だったのかはわからない。正直、体が動いてしまった。
後から改めて考えた。
指導の目当てに即した図工の評価はあるけれど、そもそもどの芸術作品が一番すぐれているかなんで 絶対に誰にも決められない。全員が一生けんめい作った作品はそれぞれ輝くべきなのだ。それは一人ひとりの人間の違いを認めよさを知ることとよく似ている。図工は心の教育でもあると思う。

 そういえば、昨日の夜も寮の子を叱ったんだった。夜10:30消灯なのに、11時に廊下でバスケをしだしたからだ。バスケットボールを思い切りつくと、結構うるさい。でも下の子は誰も文句を言えない。
しばらく様子をみてから、廊下に出て座り、じっとその様子をみた。私をみて「あれ?ど~したの、先生!」笑顔で言われたが 「今は何時?小さい子達は今どうしている?私は叱るのは嫌いだから 自分で何をしたらいいのか考えなさい。分かった?」とピクリとも笑わずに言って部屋に戻った。その日は、それ以降話し声がしなかった。

今日の算数の話し合いでは、書いた指導案の難しい単語(直方体のロシア語)が全く読めず、「アヤカ、図工でも〇〇って単語、一回しか言えなかったでしょ」と笑われた。
悪気は無いのは十分わかっていたのに、昨日深夜までと今日も空き時間に必死で教材研究と準備をした私は正直カッときてしまい、モンゴルの教科書や算数の指導の改善点があることを率直に伝えてしまった。

打ち合わせ後質問があるか聞くと、「とりあえずアヤカがやりたいようにやったらいい。そのあとの話し合いで改善しよう」と言われ、すぐ別の話にうつってしまった。体からすうっと力が抜けていったようだ。
「私がやりたいように(授業を)やる」ことの意味ってなんだろう。

色々な思いが交錯する。私の行動や発言の一つ一つ、本当に誰かの役に立てているのか。
誰かを傷つけてはいないか。自己満足じゃないか。

今日は、寮のリーダー、オルゲルボルトと二人で(たまたま一緒になった)首都にあがり、土曜日はセミナー、日曜日に教科書改善の話し合いをして、日曜日の列車でそのままこっちに戻ってくる。
ここでも活動も、あと一週間。
この5月病、振り切ろう。さあ、あとひと踏ん張り。12時にここを出る前に、算数の指導案と教具を仕上げよう。

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